The Golden Age

お疲れさまでした。


Jon Dahl Tomassonが6月6日に引退を表明しました。
サッカー選手として実績は実に華々しいものでした。
デンマークのKøge BKでデビューした彼は下部リーグで低迷していたクラブの躍進に大きく貢献、
そこでの活躍が認められオランダのSC Heerenveenへと移籍します。
オランダでもその才能は遺憾なく発揮されて21歳以下の選手に贈られる
Nederlands Voetbal Talent van het Jaarを受賞します。
イングランドへの挑戦は失敗に終わったもののFeyenoordで輝きを取り戻し、
その後はA.C. MilanやVfB Stuttgart、Villarreal CFと各地を転々とします。


1997年にデンマーク代表入りを果たすと徐々に実力が認められ先発機会が増えると、
UEFA Euro 2000の予選突破に大きく貢献します。
そして2002 FIFA World Cupにはエースとして挑み4得点を挙げ、
チームを決勝トーナメント進出へと導きます。
その後も世代交代が進む代表に置いてもエース、そして主将の役割を担い、
昨年の2010 FIFA World Cupでも現役最後の得点となる1点を挙げています。
彼はサッカーデンマーク代表の選手として112試合に出場し、
Poul Nielsenと並び同国最多得点記録52点を挙げています。


ドリブルが上手いわけでも、ヘディングが強いわけでもない彼が得点を重ねた理由は、
ゴールに向かうどん欲な姿勢とボール瞬時に対応できる反応の速さにあります。
相手守備陣の裏を突いてからのシュートや
混戦から抜け出して相手より早くボールに触れてシュートという形が得意でした。
また彼は周囲の選手に合わせた動きも上手く、
代表ではEbbe Sand、MilanではAndriy Shevchenkoとのコンビで得点を量産しました。
そんな彼も今年で35歳。
W杯の得点の際に痛めた足はその後回復することはなく、
Feyenoordに帰ってきて3年目のリーグ戦終了後に引退を決断しました。


Tomassonは記者会見でこう話しています。
「このような形で引退しなければならないのは残念です。
ピッチの上で引退するものだと考えていたから、本当に残念でならない」
「多くの国で試合に出たし沢山の文化にも触れることが出来、
私はキャリアのなかで多くのことを経験しました。
FeyenoordではUEFA Europa League、AC MilanではUEFA Champions League優勝を経験するなど、
子どもの頃からの夢が叶うようなことも味わいました」
「どれが最高の瞬間だったかなんて選ぶことが出来ない」


彼の引退に多くの人が声を寄せています。
Køge BKのコーチをしていたErik Rasmussenは彼についてこう話しています。
「彼が初めてこのチーム来たのは16歳の時で、向上心に満ちていて厳しい練習をしていました。
とても謙虚で真面目で、そして人の意見を素直に聞ける人で、
周りのみんなからは得点を重ねることを期待されていました。
チームはその時下部リーグに位置していましたから、
彼がその後にオランダで成功することやデンマーク最高の選手になるなんて思ってもいませんでした」
A.C. Milanと代表で同僚だったMartin Laursenも彼の人柄をこう評します。
「彼はいつだって真剣でした。
Milanでは二人とも出場機会に恵まれていたわけではなかったけれど、
彼とは一緒に練習の前後に自主練習をしていました。
そうやって試合への準備を行い、良い調子を維持していました。
その取り組み方が実ったのか、彼は素晴らしい選手生活を送りました。
彼は成功するために本当に沢山の努力を重ねていました」



主なゴール集

最後の輝きを見せた2009-2010年シーズンのゴール集

2002年の輝きを忘れることはないでしょう。
The Golden Age / Asteroids Galaxy Tour 2009年