Kani Kertoo

その情報、本当に必要ですか?   hs.fi


犯罪はニュースです。
犯罪という事象はその原因、そして事件の影響といったもので人々の関心を引くものであり、
通常の犯罪は紛れもなく社会的重要性を有しています。
そしてニュースとして犯罪は神経質なものであり、優れた洞察力と正確性が求められます。
こうした事件を報道する際、フィンランドメディアが頭を悩ませるもののひとつに、
加害者と被害者に関する話題が挙げられます。


フィンランドでは犯罪被害者のプライバシーを保護する伝統が根付いています。
報道に携わる人は、
事件の敏感な詳細については被害者の身元を保護するよう義務づけられています。
これは加害者にも該当することで、
近親者に不幸を広めてはならないという考えがあるからです。


こうしたニュース報道の枠組みを越えた事象が今年ふたつ起きています。
一つ目は今年1月、Yleisradio(フィンランド国営放送)はある番組内で、
5人を殺害した罪で終身刑を言い渡された元看護士のインタビューを放送しました。
連続殺人犯へのインタビューを行うことが異例ですが、
この極めて特殊な事件が放送を正当化される可能性があります。
また視聴者の、何故罪もない老人を殺したのか、
という疑問を解決する手段にも成ると考えたようです。
しかしながら、彼女がTVで語る姿は空虚感のようなものを残しました。
犠牲者家族はどれだけの苦痛を得たでしょうか?
これが果たして正義の追求、あるいは表現の自由に該当するものなのか?


特例の二つ目は法廷で起きました。
女性が職場で暴行を受けていた悪質な強姦事件に対して、裁判所は公判廷とすることを認めました。
被害者自身がメディアへの開示を求めていたもので、
性犯罪に対するタブーを無くす意図があったと説明しています。
法廷に立った彼女の姿は実に見事なものでした。
レイプや虐待被害者を世間の関心から守ることは必要であり、
効率的なものでなければなりません。
しかしながら現状では、被害者は世間一般から恥の烙印を押されています。
被害者のこうした状況をメディアや当局が熟考した場合、
保護するための秘密厳守が行われていたとしても、被害者の生活は継続されているのです。
犯罪という物語は加害者に焦点を当てすぎているのかもしれません。


ひとつの事件にしても、異なった視点から捉えることも重要です。
その一方では、ニュースを流す際には注意深くある必要があります。
性暴力事件は反社会的な行為です。
外面からはわからない深い傷を被害者へと残し、その傷を癒すためには長い時間が必要となります。
事件の詳細を報じた翌日に後悔したとしても、それは手遅れでしかないのです。
その頃にはネットが支配権を握っています。


情報をどう処理するのか、最終的な判断を下すのはあなたです。
Kani Kertoo / Organ 1982年