Mitt Lille Land

内戦のような風景でした。


7月22日午後3時20分頃、ノルウェーの首都オスロの中心地Grubbegataで爆発が起きました。
ここは首相官邸ノルウェーの各省庁が密集している場所で、
自動車爆弾による攻撃が為されたと考えられています。
爆発の影響は広範囲に渡っていて周辺の窓ガラスは吹き飛び、
書類や建物の一部損壊によるがれきや砂ぼこり等によって路上が荒廃状態になりました。
そのおよそ2時間後の午後5時頃、
オスロから西に30km離れた場所に位置するUtøyaで銃の乱射事件が発生しました。
ここではDet norske Arbeiderparti(DNA,ノルウェー労働党)の青年部が主催した集会が行われていて、
乗り込んできた男は600人近くいた参加者に向けて発砲を繰り返しました。
午後6時30分頃、現場にいた男性が駆けつけた警察に逮捕され、
その後周辺を捜索した警察によって不発弾も発見されています。
この事件により24日時点ではオスロでは7人、Utøyaでは85人が死亡したと見られていましたが、
25日の警察の発表ではオスロで8人、Utøyaでは68人の死亡が確認されたとしています。
ただこの数字は今後増える可能性があるということです。


逮捕された男性は32歳のノルウェー人。
当初は他の事件同様に顔写真や指名は伏せられた状態でしたが、
国史上最悪といわれる事件という特殊性からどちらも公開されています。
この男はFremskrittspartiet(ノルウェー進歩党)の元党員で、
オンライン上で『2083 A European Declaration of Independence』
という1500pにもなる自身の著書を公開しています。
そこに記された思想や犯行後に明らかにされた行動から、
キリスト教原理主義者という見方が強まっています。
警察は殺人ではなく人道に対する罪での起訴を検討しているということです。
(ノルウェーでは殺人の場合最高21年の懲役、人道に対する罪の場合には30年)。


国内のメディアはこの事件を大々的に報じており、
テレビはもちろん紙面やオンライン上の記事の大半はこの事件の話題となっています。
オスロ市内の様子も夏を楽しむ人で溢れていた日常から一転し、
ノルウェー軍が地下鉄や通りを警戒する姿が事の重大さを物語っています。
また国境では旅行者に身分証明書の提示を求める等監視を強化しています。
市内の商店も事件発生後から臨時休業とする店が多く、
悲しみに暮れた市民はオスロ大聖堂前広場に集まっては献花する姿が多く確認されました。
25日の正午には政府の指示により1分間の黙祷が犠牲者に捧げられています。
また同日の夜には、
犠牲者に捧げるためのバラを手にした人々がオスロの街を歩き通りを埋めました。
その人数は10万とも20万ともいわれています。


北欧各国では連帯を示す動きが見られています。
アイスランドの首都レイキャヴィークにあるレストランには1000人が集まり、
1分間の黙祷とEdvard Hagerup Griegの音楽を犠牲者に捧げました。
デンマークでもノルウェー大使館前に数百人の市民が集い、
花とキャンドル、そしてノルウェーを思う人々で広間が埋まりました。
また月曜日の正午の黙祷にはスウェーデンデンマーク政府も同調し、
それぞれ全国民が1分間の黙祷を行っています。


以下は北欧の様子(写真)です。
ノルウェー
夜のオスロ 夜通しの清掃作業 大聖堂での追悼式 追悼集会
花と人 地方集会


Jens Stoltenberg首相は会見で「我々を破壊することは出来ない」と語っています。
その言葉だけでなく、犯人を殺害ではなく逮捕したことに、この国の執念というか意地を見た気がします。

Mitt Lille Land / Maria Mena 2011年