A diario

新聞は必要ですか?


デンマークの新聞は必要とされているのか?
以前なら読者は購読料を払ってくれると新聞側は考えていましたが、
現代の若者は年間購読料4000DKK(56000円)を支払う余裕がないようです。
まだ新聞は必要とされてはいますが、新聞は岐路に立たされています。


デンマークにとって新聞は誇り高い伝統を持つ古典的な情報源です。
それはスポーツや戦争、食文化やオペラといった芸能まで幅広い分野を網羅し、
日常的に首都圏だけでなく地方にもその情報を届けてきました。
民主主義を正常に機能させるためには新聞は必要不可欠だと思われていましたが、
今日ではネットの躍進によって広告収入が伸び悩み、
発行部数の低下や廃刊を迫られる新聞が相次いでいます。


現在、新聞というメディア自体が存亡の危機に瀕しているようにも見えます。
ニュースという強度の時事性と大衆性を孕む素材を追求するあまり、
地方の話題や文化的な話題が取り上げられる機会が減っているようにも思えます。
その一方で読者にとって情報の価値は、
携帯電話や電子端末の発展によってより複雑で高度に変化しています。
それによって読者が新聞の機能、つまり紙の感触や情報の編集、
1部という制限を否定しているようにも思えます。


しかしながら新聞の主張を支持する人は現在でも多くいます。
保守的な新聞は多くの公務員やキリスト教徒の読者を抱えているように、
専門分野でのその価値を見出して生き残る道もあります。
たとえその地位が危ぶまれている新聞であっても、
小さなコミュニティが存在して彼らがメディアの消費を求め続ければ、
公共サービスとしての新聞は生き残ることが出来るかもしれません。


新聞は必要だとは思います。
でもその情報源としての優先順位は低くなっています。