minority

憎悪が蓄積されて向かう先はどこでしょうか。


今年の7月、フィンランドの寛容精神に反する嘆かわしい事件がいくつか発生しました。
TurkuとJyväskyläでは外国人が共同オーナーを務めるピザ店が火炎瓶で攻撃され、
Kuusamoでは外資系ピザ店が放火の被害に遭いました。
そしてヘルシンキで開催されたPride paradeでは、
性的少数者に対して催涙ガスでの攻撃が発生しています。
いずれも若者による犯行だということですが、
当局の話によるとそのうちの数人は極右組織との関わりがあったとしています。


社会的少数派に対する暴力がほとんど報告されないフィンランドにおいて、
これらの事件は右翼過激派組織の勢力拡大を示す兆候なのでしょうか?
フィンランドでは長年極右的活動はタブーとされてきました。
1944年ソビエトとの和平協定でファシスト民族主義運動が禁止されたこと契機に、
Kursiiviにある共産印刷所を放火する事件を起こしたPekka Siitoinを除いては、
こうした運動が目に付くことはありませんでした。
その後ソビエトが崩壊したことによって、極右組織は政治の舞台へ舞い戻ります。
Isänmaallinen kansanliike(IKL)にThe Aryan Germanic Brotherhood、
Radikaalinen Kansanpuolueといった組織は伝統的な政治文化に適応してみせましたが、
選挙で効果的な結果が出ることはありませんでした。


極右組織で暴力による問題を起こしたのも、
Joensuuに拠点を置いていたスキンヘッドの組織ぐらいのものでした。
1990年代に町がソマリアから100人を超える難民を受け入れた事に反発、
以後数年間に渡って移民が収容された場所に焼夷弾が投げ込んだり、
ソマリア人を殺せ」と書かれたポスターを学校に貼ったりする攻撃に出ました。
彼らがとったこうした行動は、フィンランドの歴史上から見ても、
最も露骨なかたちでの人種差別的な暴力といえます。
彼らを含めて1995〜1998年にかけてJoensuuではこれらの暴力が多く発生して、
20以上の組織で350人以上が罪を犯したとされています。
ただ2000年代以降、Joensuuでのこうした暴力事件は少なくなっています。


近年、極右団体が目立つ地域はPohjois-Karjalaです。
昨年この地域ではいわゆるヘイトクライムと関連づけられる事件が59件報告され、
今年も6月下旬までに32件が発生しています。
こうした事件の大半は、外国人が所有する乗用車への攻撃や、
外国人が営む商店への攻撃といった破壊行為とされています。
そしてそれらは若者ギャングによる犯行のものとされています。
「解決済みの人種差別主義的犯罪には20歳前後の若者が関与していることが多く、
軽犯罪では若者集団の犯行によるものがいくつもあります」
とJoensuuの警察官は言います。


現在、Perussuomalaisetは政党としての活動を目指しています。
しかしこうした極右政党がこの国で成功を手にすることはほとんどありません。
フィンランドの大衆文化は常に過激な主張を見下す傾向があり、
議会制度でさえも軽蔑しているような向きもあります。
フィンランドにおける左右過激派の政治団体活動は、
他のヨーロッパ諸国に比べてとても穏やかなものです。
こうした考えはこの国の政治文化の奥深くに根付いています」
社会学の名誉教授は言います。
ソビエト連邦がまだ存在していた頃、フィンランドは東からの脅威を常に感じていました。
これによってフィンランドに衝突を嫌う政治文化が確立しました。
「人々は紛争による死よりも政治的な議論による解決を望んでいます」


長年スキンヘッド集団の研究している人物は、
移民に関する議論においてもこのような思想が影響していると指摘します。
フィンランドの政治活動で特徴的な点は、
小さな組織が掲げる運動が直ぐに大きな政党のスピーチに反映されるところです」
移民に焦点を当てることで大きな政党は保守層を取り込むことに成功し、
小さな極右組織は支持者を失い活動を更に規模を縮小するということです。
極右組織が成功しない理由として彼は、
確かなリーダーの不在と支持者が伝統的な政治を捨てきれないことにあると見ています。
「彼らは投票することに抵抗が強く、
いざ政治公約を掲げたところで彼らはそれを放棄しています」
これは実にフィンランド人らしいといえます。
そして急進論者は自宅ですねながら抗議しています。


最近各国で選挙が行われるとき、移民に焦点を当てることが多くなったような気がします。
選挙運動中の各の言葉が彼らをまた翻弄させているように思います。