Un po'

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旧ソ連のChernobyl原子力発電所事故を明らかにしたことで、
スウェーデンは国際的な信用を得ました。
これはどのように発見されたのでしょうか?
そしてスウェーデンの土壌だけでなく、国家の記憶に何を残していったのでしょうか?
Chernobyl原子力発電所4号機が爆発したのは1986年4月26日のことでした。


「検出されてはいけないものを発見しました」
当時Forsmark原子力発電所に科学者として勤務していた男性はこう話します。
彼は何か重大な事故が起きたことを、世界が知るよりも早く理解した人物です。
4月28日の早朝、彼は工場の休憩所で朝食を摂っていました。
そして身支度を整えるためにロッカールームへ向かう途中、
放射線検出器の前を通り、鳴っていた警報を止めようとしました。
「管理区域内でもないのにアラームが鳴っていたのを奇妙に思いました」
数分間警報を止めようとしても鳴りやむことはありませんでした。
彼やその同僚は、
この検出器は調整の為に鳴らされている、あるいは誤作動だと考えていました。
そして彼は発電所放射能を監視するために敷地内を歩き回りました。
再び検出器の前に戻ってきたとき、
そこには警報を止めようとする人たちで溢れていました。


そこで彼はそこに居合わせた人から靴を借り、
研究室にあるゲルマニウム検出器にそれを掛けました。
「そこで忘れることの出来ないものを目にしました」
「靴はひどく汚染された状態でした。数値が凄い勢いで上昇していくのを確認しました。
そして普段Forsmarkの冷却水からは検出されていない放射性元素が大量にあったことに驚きました」
「どこかで核爆弾が爆発した、といった考えをめぐらしたことを覚えています」
その後彼は上司に呼ばれ、情報の全てを明かしました。
そして上司は彼に工場にある煙突の様子を確認するよう頼まれます。
煙が確認されれば、それは工場から放射性物質を放出していることを意味します。


そうしている間に、彼は工場内労働者の避難を呼びかける警報を聞きました。
ただ彼はサンプルを分析するためにその場に留まりました。
「Forsmarkで誤作動や問題が起きたということが何も示されませんでした。
ただ、周辺が非常に汚染されていることだけがわかりました」
「とても大きな精神的な重圧があり、
何もかもが遅く流れているように感じたことを覚えています」


Strålsäkerhetsmyndigheten(放射線安全当局)の男性が
Forsmarkからの連絡を受けたのは朝でした。
当局ははじめ、Forsmarkから放射性物質が漏れていると考えていましたが、
数時間以内そうではないことが明らかになります。
彼らもまた核爆弾の可能性を挙げましたが、ただ科学解析員はそれを否定しました。
そして解析中の植物の中に、他のものより汚染濃度が高いものを発見し、
彼らは放射性物質が東南の風に運ばれたものだと推測しました。
その方向にはChernobyl原子力発電所が存在しています。


その日スウェーデンの外交官は、
事故の可能性についてモスクワと様々な接触を図りましたが、
彼らから帰ってくる答えはすべてNoでした。
その後スウェーデンがInternational Atomic Energy Agency(IAEA,国際原子力機関)へ報告をしたことで
この問題が明るみに出て、ソ連は事故の存在を初めて認めることになりました。


世界で初めてTV生中継され、ネット時代になって初めての事故はFukushima。
Un po' / Marco Masini 2009年