Danny Boy

いつか行ってみたいです。


どうしてあの頃のJazz音楽家デンマークを選択したのでしょうか?
おそらくこの国の社会保障の下で、彼らは純粋に音楽を楽しんだのでしょう。
1960年代のコペンハーゲンはヨーロッパジャズの中心地として栄えていました。
例えばStan GetzとOscar Pettiford(共にUSA)は、
Jan Johansson(SWE)などを擁してJazzhus Montmartreで演奏を披露しました。
実際には1960年にPettifordが亡くなり、翌年にはGetzはアメリカへと帰国しています。
しかしその後ふたりの演奏に影響を受けた音楽家たち、
例えばBrew Moore,Bud Powell,Kenny Drew(いずれもUSA)等々、
が次々に北欧へ乗り込んできてはJazzを鳴らしていきました。
特に1961〜62年は今日のデンマークジャズシーンの基礎に多大なる功績を残しています。


サクソフォーン奏者Dexter Gordon(USA)は、
デンマークに滞在しその影響を受けた外国人アーティストの象徴的な存在です。
1962年10月ヨーロッパツアーするためにGordonはコペンハーゲンに拠点を構えます。
彼は1950年代後半から麻薬中毒とそれによる刑務所生活の末にNew Yorkでの演奏場所を失い、
活躍の場を求めて北欧へと移住してきました。
Montmartreでたびたび演奏を披露していたGordonはデンマークが深く気に入ったようで、
デンマーク語を勉強しては非常に流暢に言葉を操っていたといわれています。
これは彼と他の外国人アーティストの大きく異なる点といえます。
デンマーク移住後の比較的早い段階で薬物を絶つことに成功したGordonでしたが、
1965年にアメリカに帰国すると再び手を出し、その後パリで執行猶予判決を受けることになります。
この一件を受けデンマーク当局は彼の入国を拒否しますが、
デンマークの文化人がGordonにはリハビリを受けさせるべきだと抗議し、
再びこの地に足を踏み入れることになります。
1967〜76年にかけてデンマークに住んでいた彼の作品は、現在でも頻繁に耳にすることが出来ます。


サクソフォーン奏者Ben Webster(USA)もGordonと同じように、
Jazz界のアメリカ移民の象徴と知られています。
Jazzの歴史に名を残す彼もまた個人的な問題を抱え、1965年1月にデンマークへと移ります。
Montmartreで演奏を始め、その後はArnvid Meyer楽団の一員として各地を回りました。
Websterは1969年から亡くなる1973年までNørre Søgadeのアパートで暮らしていました。
楽団在籍中にKenny Drew,Niels-Henning Ørsted Pedersen,Alex Riel(いずれもDEN)と競演し
Montmartreで録音された彼の作品は名作として知られています。


Jazzhus Montmartreはその後いったん閉店しましたが、昨年復活しています。
こちらで確認できます。場所HP
Danny Boy / Ben Webster 1965年