Bicycle Named Heaven

昨日の続きです。


コペンハーゲンUCI Road World Championships(世界選手権自転車競技大会ロードレース)
を開催するにあたり、都市部を大胆に競技会場へと変えました。
まずタイムトライアルに備えるため9月19日からØsterbroを中心とする70ブロックを封鎖、
23日から閉幕まではロードレース実施のために、
NærumやSøllerød周辺の400以上の道路を自動車による通行を禁止しました。
対象地区の住民のみならずバス等の交通機関や通勤通学者もその対象となり、
平日には17万人以上が迂回を余儀なくされたとされています。
各メディアは開幕数日前からこうした処置を批判すると、
自転車の国を世界にアピールする絶好の機会だという意見も合わせ、
賛否両論で大会の話題作りに奔走しました。
日刊紙『Politiken』は開催に賛成か反対かのネット調査を行っています。
こちら(反対が若干多いように思います)。


市民にはどのような影響が出たのでしょうか。
ある営業部の男性は少し前から小走りを始め「本当に迷惑なんだよな」と言います。
彼の家は封鎖の対象地域にあるためいつも利用していた社用車は利用不可能となり、
この日は地下鉄と徒歩での通勤となりました。
イタリアからやってきた実業家との打ち合わせまであと4分しかありません。
「いつもなら家から25分で行けるところが今日は1時間掛かってます」。
「今回のイベントは素晴らしいとは思うけれど、私はここで生活する必要があります」。
今回の封鎖によって道路の混雑が予想されましたが想定よりは少なく、
駅やバス停に並ぶ人の数と通りを行き交う人波が増えただけでした。


今回の世界選は59ヶ国でテレビ放送が行われ延べ4億人が視聴するとされ、
40万人の観衆、800人以上のスポーツジャーナリスト、
1000人以上のボランティア等によって成り立っています。
主催国としてはこのイベントを楽しみにしていた自転車ファンの訪問と
レースを中継することで世界からのデンマークへの関心を高めることを期待しています。
主催側は外国からの訪問者として3万人を予想し、
熱狂的なファンが多く地理的にも近いノルウェーから2万人が来ると見込んでいました。
最終日にはその予想を上回る4万人が訪れたとされ、
ゴールを余裕をもって見られるようにというフェリー運行会社の配慮から、
オスロ行きのフェリーの出航が2時間半遅れるという事態も起きています。


準備期間として5年を費やしただけに大会は円滑に進行しました。
それでも開幕日の19日には
ゴール付近の800mにわたってオイルが漏洩し関係者は清掃に追われました。
またU-23男子TTに出場して5位に入賞したJasper Hamelink(NLD)のバイクが、
彼が試合後のマッサージ中に盗まれる事件も起きています。
自転車はChristianiaで発見され水曜日に無事彼の元へと返っています。
男子TT実施中には観客2人がコースに侵入しましたがすぐに取り押さえられています。
大会事務局が設置した電話には22日地点で苦情を述べた数は80人、称賛は37人でした。


最終日にはレースを一目見ようと25万人が沿道に駆けつけ、
大会通しての動員数は54万5千人だったと当局は発表しています。
メディアコーディネーターとして働いた男性は
「車を動かせなかったり駐車できないことへの不満に関する電話は常にありました。
ただそれ以外は肯定的な意見で占められていました」と話しています。
Danmarks Cykle Union(DCU)の会長は誇らしげに語っています。
「想像を遥かに上回る結果です。
我々は電車による輸送は20万が限界と考えたため、15万人と予測していました。
ですからこの結果には驚いています」。
「色々ありましたが、幸せな結果が出たと考えています。
首都のど真ん中で世界戦行うことは可能である、
という我々の挑戦が成功したことで世界選が新たな段階へと進もうとしています」。


ゴーストタウン 荒廃的 車のない街 熱狂的な観客1 その2 その3 舞台裏 最終日
Bicycle Named Heaven / Catie Curtis 2006年