#11 クレナイニセスズメ

感動・感動・雨・感動。
3〜4年前に文学・映画・テレビで流行した感動ものが再熱しつつあります。

これらの感動ものの多くは涙がもれなくついてくる、
感動=涙という至って単純なつくりになっているものばかりです。


そもそも感動という言葉自体に涙を流す意味はなく、
心を動かされることを指しています。

その結果の一例として涙が挙げられるのですが、
現在では感動=涙が浸透した感もあります。

表現の単一化の一部とも受け取れるこの現象は、
それぞれの業界に発展に繋がるかは疑問です。


涙流す自分ってどう?という打算が秘められている、
と昔ある新聞がこの感動を特集していました。

人の誕生と死という究極な感動のうち、
感動ものの多くは人が簡単に死に過ぎているように思えます。

それも打算の結果だとするならば、
人の生命も軽い存在になったと考えるのは考えすぎか。


五輪やW杯を見てサッカーや水泳など何かをスポーツを始めた、
そのことも感動のひとつといえるでしょう。

涙だけに心動かされることは、
真の感動を見失うことにも繋がるかもしれない。