Hey Love

見方の問題です。


「私はチームメイトや対戦相手、コーチにスポンサー、
そしてファンの皆様に対して深い尊敬の念を持っています。
けれども、私がどのチームに移籍するのか、
どのような契約を結ぶのかについては何も話すことはありません」
あるデンマークのスポーツ選手は先日行われた会見でこう述べました。
これに対してスポーツジャーナリストや通信社の記者らは、
デンマークの一流スポーツ選手は退屈で予測可能な回答しかしない、
と批判する意見を並べました。
ただこれはマスコミの問題といえます。
今日スポーツ競技の一流選手たちがブランドとして保護や開発されたりするなかで、
マスコミはそれに理解を示しつつ適応していく必要があるといえます。


特にサッカー選手とのやりとりは退屈、
という意見に同意するスポーツジャーナリストを含めた報道関係者は多くいます。
記者が選手に質問を投げかけても、彼らは在り来たりな答えを返します。
1980年代当時のデンマークのマスコミと選手のやり取りを比較すると、
現在のサッカー・テニス・バドミントン選手の答えが慎重、
そして退屈であることに疑いの余地はありません。
ただそれはスポーツ選手が進化している、
つまり自らをブランドと認識する選手が増えた、という見方も出来ます。
スポーツジャーナリストはどうかというと、昔のままです。
以前から見られるように、
彼らは選手の物語性を好み、変わることない視点から常套句が並ぶ見出しを付け、
要するに同じ質問を選手に繰り返しているのです。


デンマークにおけるスポーツの立ち位置は変化しています。
20年前のスポーツは夜遅くのニュースや新聞の後ろのページで確認できる程度でしたが、
現在ではウェブ上で見出しを飾ったり、速報が流されたりしています。
特に人気選手の移籍や人気チームの試合結果への関心は高く、
記事が更新されると直ぐに読者が集まってきます。
ウェブサイトへのアクセスが増えることでより多くの広告収入が得られるマスコミにとって、
スポーツはメディアビジネスの重要な要素のひとつといえます。


ネットの世界においても選手とマスコミのやり取りは退屈であると認識されています。
ネットメディア上では、選手の失言やパーティーでの乱れた写真が見出しを飾っています。
その標的はデンマークの場合主にNiclas Bendtner・Anja Andersen・Caroline Wozniackiです。
彼らが実際には何もしていなくても、
彼らの名前が使用された事柄がネット上ではトップに挙げられているのです。
このようなことが起きるたびに彼らは少なからずダメージを受け、
いくつかのケースではコーチやチームメイト、
クラブやスポンサーに説明を迫られる機会もあります。


そうした状況もありここ数年は、
試合の敗戦コメントだけでなく勝利や対戦相手、スポンサーに関する話題など、
非常に管理されたスポーツジャーナリズムが形成されています。
またそれだけでなく実際のスポーツ選手たちのなかには、
自分という存在について独自の戦略を持つ人や明確な目標を語る人も存在します。
ただジャーナリストにとって物語性は依然として重要なものです。
両者が互いに敬意を払うことで記者には物語を書き、
選手はブランド力を向上させることも可能なのです。


記事に込められた意図をどう解釈するかはあなた次第です。

Hey Love / Shaggy 2000年